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生きる力をテーマに [花房秀安作品]
若葉の緑が日増しに濃くなってきました。
今回はこちらの作品をご紹介します。
源始人の知恵(花房秀安作・手ひねり)


猪を仕留めようと人間が岩を振りかざしています。
こちらの作品には、どういう意図があるのでしょう。
原始人をイメージしたと思われる、全身を毛で覆われた人間が狩りをする様子を
モチーフとすることで、命を繋いでいくために知恵を振り絞っている象徴として、
人が生きていくために努力する姿を表しているのではないかと考えます。
また、題名において通常「原始人」と書くところを「源」という字を当てて「源始人」とし、
起源という意味合いをより強調することで「人間の根本」「命」というテーマを示唆し、
生きていこうとする命の逞しさ、力強さを表現したのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
源始人の知恵(花房秀安作・手ひねり)
猪を仕留めようと人間が岩を振りかざしています。
こちらの作品には、どういう意図があるのでしょう。
原始人をイメージしたと思われる、全身を毛で覆われた人間が狩りをする様子を
モチーフとすることで、命を繋いでいくために知恵を振り絞っている象徴として、
人が生きていくために努力する姿を表しているのではないかと考えます。
また、題名において通常「原始人」と書くところを「源」という字を当てて「源始人」とし、
起源という意味合いをより強調することで「人間の根本」「命」というテーマを示唆し、
生きていこうとする命の逞しさ、力強さを表現したのかもしれません。
観音像 [花房秀安作品]
風薫る、清々しい季節になりました。
今回はこちらの作品をご紹介します。
観音像(花房秀安作・手ひねり)


手を合わせ、左膝を立てて座る観音様。
この像には、どういう意図が込められているのでしょう。
両手を合わせた観音様の姿は、三十三観音の中に見られます。
「合掌観音」と呼ばれ、仏様が率先して「人々の心のめざめが速やかであるように」と
拝んで下さっているという教えなのだといいます。
こうした合掌観音のいわれからインスピレーションを得たのではないかと考えます。
また、通常合掌観音像は立像が多いようですが、この作品は立て膝で座った姿をしています。
立てた膝の左右の違いはありますが、その姿勢は如意輪観音の「輪王坐」を連想させます。
一説によると、「輪王坐」はいよいよ救済に向かおうとしている様子を現しているとされることもあるとか。人々の幸せを願い、今まさに立ち上がろうとする観音様の姿を表現したのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
観音像(花房秀安作・手ひねり)
手を合わせ、左膝を立てて座る観音様。
この像には、どういう意図が込められているのでしょう。
両手を合わせた観音様の姿は、三十三観音の中に見られます。
「合掌観音」と呼ばれ、仏様が率先して「人々の心のめざめが速やかであるように」と
拝んで下さっているという教えなのだといいます。
こうした合掌観音のいわれからインスピレーションを得たのではないかと考えます。
また、通常合掌観音像は立像が多いようですが、この作品は立て膝で座った姿をしています。
立てた膝の左右の違いはありますが、その姿勢は如意輪観音の「輪王坐」を連想させます。
一説によると、「輪王坐」はいよいよ救済に向かおうとしている様子を現しているとされることもあるとか。人々の幸せを願い、今まさに立ち上がろうとする観音様の姿を表現したのかもしれません。
了戦 [花房秀安作品]
爽やかな5月の空を鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでいます。
今回はこちらの作品をご紹介します。
了戦(花房秀安作・手ひねり)

背中に矢を受け、岩場から身を乗り出して何かを見つめる獅子。
この作品は何をモチーフとしたのでしょう。
タイトル「了戦」に使用されている「了」という文字には
「終わる、けりがつく」という意味があることから、戦いの終わりをテーマとしているようです。
それは勝敗がついたというよりも、人生そのものだった戦いが命とともに終わる瞬間を表現しているのではないかと感じます。
背中の矢は、生きてきた中で経験したことの象徴なのではないでしょうか。
また、「了」という文字には「はっきりと悟る」「明らか」という意味もあるとか。
生涯の終わりに自らの歩んできた道、「戦い」の意味を悟る、
そんな秀安独自の人生観が込められているのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
了戦(花房秀安作・手ひねり)
背中に矢を受け、岩場から身を乗り出して何かを見つめる獅子。
この作品は何をモチーフとしたのでしょう。
タイトル「了戦」に使用されている「了」という文字には
「終わる、けりがつく」という意味があることから、戦いの終わりをテーマとしているようです。
それは勝敗がついたというよりも、人生そのものだった戦いが命とともに終わる瞬間を表現しているのではないかと感じます。
背中の矢は、生きてきた中で経験したことの象徴なのではないでしょうか。
また、「了」という文字には「はっきりと悟る」「明らか」という意味もあるとか。
生涯の終わりに自らの歩んできた道、「戦い」の意味を悟る、
そんな秀安独自の人生観が込められているのかもしれません。
大宝瓶「雲海」 [花房秀安作品]
木々の柔らかな緑が日増しに鮮やかになってまいりました。
今回はこちらの作品をご紹介します。
大宝瓶「雲海」(花房秀安作・手ひねり)

宝瓶「雲海」は、秀安から壮一へと引き継がれた作品のひとつでもあります。
写真向かって右側の大宝瓶「雲海」もまた、デザインは通常の宝瓶「雲海」と同様に
蓋のつまみに延命の霊薬といわれる霊芝、横部分には縁起の良いしるしとされる彩雲や瑞雲などの種類があるといわれる雲、後ろ部分には吉事が繰り返し、一族が繁栄するようにとの願いを象徴するという波をモチーフとして取り入れています。
大宝瓶はその大きさから、花器や飾りとして愛用して下さっている方もいらっしゃるとか。
様々な感性で作品の新たな魅力を発見していくこともまた、楽しいものです。
今回はこちらの作品をご紹介します。
大宝瓶「雲海」(花房秀安作・手ひねり)
宝瓶「雲海」は、秀安から壮一へと引き継がれた作品のひとつでもあります。
写真向かって右側の大宝瓶「雲海」もまた、デザインは通常の宝瓶「雲海」と同様に
蓋のつまみに延命の霊薬といわれる霊芝、横部分には縁起の良いしるしとされる彩雲や瑞雲などの種類があるといわれる雲、後ろ部分には吉事が繰り返し、一族が繁栄するようにとの願いを象徴するという波をモチーフとして取り入れています。
大宝瓶はその大きさから、花器や飾りとして愛用して下さっている方もいらっしゃるとか。
様々な感性で作品の新たな魅力を発見していくこともまた、楽しいものです。
願いを込めて [花房秀安作品]
春の日差しを受けて、花々がより一層鮮やかに咲いています。
今回はこちらの作品をご紹介します。
無限の究極(花房秀安作・手ひねり)


秀安の作品には、独特の切り口で自らの世界観を表現したものが多くあります。
中でもこちらの作品は、その特徴がより顕著に表れているもののひとつではないでしょうか。
目の前の岩に丁寧に両手を添え、何かを祈るように穏やかな表情で空を仰ぐ一人の老人。
「無限の究極」とは、どういう意図があるのでしょう。
デザインに取り入れられた岩と、何かを見上げる老人の様子は地面と空を連想させます。
この構図で広く天地を表現し、「無限の究極」というタイトルから
「祈り」というテーマを示唆しているのではないかと考えます。
天地が穏やかで、人々の心も安らかでありますように…
世界の平和や安寧を願う気持ちを、独自の感覚で表現したのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
無限の究極(花房秀安作・手ひねり)
秀安の作品には、独特の切り口で自らの世界観を表現したものが多くあります。
中でもこちらの作品は、その特徴がより顕著に表れているもののひとつではないでしょうか。
目の前の岩に丁寧に両手を添え、何かを祈るように穏やかな表情で空を仰ぐ一人の老人。
「無限の究極」とは、どういう意図があるのでしょう。
デザインに取り入れられた岩と、何かを見上げる老人の様子は地面と空を連想させます。
この構図で広く天地を表現し、「無限の究極」というタイトルから
「祈り」というテーマを示唆しているのではないかと考えます。
天地が穏やかで、人々の心も安らかでありますように…
世界の平和や安寧を願う気持ちを、独自の感覚で表現したのかもしれません。
因果応報 [花房秀安作品]
花器に工夫を凝らして [花房秀安作品]
花の便りが各地から届く季節になりました。
今回はこちらの作品をご紹介します。
生花器(花房秀安作)

こちらの花器は、お茶とお花を教えていたこともあったという秀安が
自らが花を活けるのに使いたいと制作したようです。
この花器は二つの鉢で構成されています。

一回り小さな鉢の口を横に広げて大鉢の口元に引っかかるようにし、
小鉢が大鉢の中で宙に浮くようにすることで小鉢と大鉢の間に空間を作り、
冬に小鉢の中の水が凍るのを防ぐことを目的としたようです。
秀安がこの作品を制作したのは約60年前。
現在のように便利な空調設備も整っていなかった当時、この考案は画期的だったのでしょう。
実用新案として申請も行ったようです。

作品を通して制作者が生きた時代に思いを馳せるのもまた、
楽しみ方のひとつなのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
生花器(花房秀安作)
こちらの花器は、お茶とお花を教えていたこともあったという秀安が
自らが花を活けるのに使いたいと制作したようです。
この花器は二つの鉢で構成されています。
一回り小さな鉢の口を横に広げて大鉢の口元に引っかかるようにし、
小鉢が大鉢の中で宙に浮くようにすることで小鉢と大鉢の間に空間を作り、
冬に小鉢の中の水が凍るのを防ぐことを目的としたようです。
秀安がこの作品を制作したのは約60年前。
現在のように便利な空調設備も整っていなかった当時、この考案は画期的だったのでしょう。
実用新案として申請も行ったようです。
作品を通して制作者が生きた時代に思いを馳せるのもまた、
楽しみ方のひとつなのかもしれません。
鬼と蓮 [花房秀安作品]
3月も末ですが、肌寒い日が続いています。
今回はこちらの作品をご紹介します。
悟りを開く(花房秀安作・手ひねり)


こちらの作品は、鬼が器を抱えているデザインとなっています。
「悟りを開く」とは、どういう意味なのでしょう。
鬼が抱える器は蓮の葉をモチーフとしているようです。
「泥より出でて泥に染まらず」といわれ、仏教において仏の智慧や慈悲の象徴とされきた蓮。
一説によると、花が咲く前に蕾の中ですでに結実していることから、
一切の衆生は生まれながらに尊く、清らかな仏性を備えていることの例えとして用いられることもあるとか。
この蓮の器が少し深く壷状になっているのは、
中に水を張ることもデザインの一つになっているのではないかと思います。
器に張った水に、禅の世界で悟りを象徴するという月を映すことで「悟り」というテーマを示唆し、
鬼が器に映った月から、空に浮かぶ本物の月に気づいて見上げるデザインにすることで、
悟りを開いた瞬間を表現したのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
悟りを開く(花房秀安作・手ひねり)
こちらの作品は、鬼が器を抱えているデザインとなっています。
「悟りを開く」とは、どういう意味なのでしょう。
鬼が抱える器は蓮の葉をモチーフとしているようです。
「泥より出でて泥に染まらず」といわれ、仏教において仏の智慧や慈悲の象徴とされきた蓮。
一説によると、花が咲く前に蕾の中ですでに結実していることから、
一切の衆生は生まれながらに尊く、清らかな仏性を備えていることの例えとして用いられることもあるとか。
この蓮の器が少し深く壷状になっているのは、
中に水を張ることもデザインの一つになっているのではないかと思います。
器に張った水に、禅の世界で悟りを象徴するという月を映すことで「悟り」というテーマを示唆し、
鬼が器に映った月から、空に浮かぶ本物の月に気づいて見上げるデザインにすることで、
悟りを開いた瞬間を表現したのかもしれません。
龍と僧侶 [花房秀安作品]
暖かい日差しに春を感じ、心が和みます。
今回はこちらの作品をご紹介します。
団交(花房秀安作・手ひねり)


こちらの作品は、僧侶のようにも見える人物に龍が巻きついているデザインとなっています。
攻撃するでもなく、巻きついて上を向いた龍と、
その鼻を右手で押さえ、左手に持ったお椀を遠ざけるように持ち上げる人物。
こうした構図の作品は古くから様々な分野でみられるといいます。
それを目にした秀安が、独自の「団体交渉」に対するイメージと重ね、
作品のテーマとしたのではないかと思います。
幸運や財運を招くとされる龍は、龍神とも呼ばれ計り知れない力を持つイメージから、
利益をもたらし、団結すれば大きな力となる働く人々の象徴としたのではないでしょうか。
その龍が巻きつく相手を僧侶を連想させる人物としたのは、
仏の教えに従って悟りを開こうと懸命に修行する僧侶のイメージから、
使命を感じ、それを果たすべく努力する経営者の象徴とし、
両者の鬩ぎ合う様子と絶妙なバランスを表現したのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
団交(花房秀安作・手ひねり)
こちらの作品は、僧侶のようにも見える人物に龍が巻きついているデザインとなっています。
攻撃するでもなく、巻きついて上を向いた龍と、
その鼻を右手で押さえ、左手に持ったお椀を遠ざけるように持ち上げる人物。
こうした構図の作品は古くから様々な分野でみられるといいます。
それを目にした秀安が、独自の「団体交渉」に対するイメージと重ね、
作品のテーマとしたのではないかと思います。
幸運や財運を招くとされる龍は、龍神とも呼ばれ計り知れない力を持つイメージから、
利益をもたらし、団結すれば大きな力となる働く人々の象徴としたのではないでしょうか。
その龍が巻きつく相手を僧侶を連想させる人物としたのは、
仏の教えに従って悟りを開こうと懸命に修行する僧侶のイメージから、
使命を感じ、それを果たすべく努力する経営者の象徴とし、
両者の鬩ぎ合う様子と絶妙なバランスを表現したのかもしれません。
獅子と鼠 [花房秀安作品]
寒暖の差が激しい中、チューリップの芽が顔を出し春の訪れを知らせてくれています。
今回はこちらの作品をご紹介します。
獅子と鼠(花房秀安作・手ひねり)


2匹の鼠に向かって大きく口を開けた獅子。
この作品は何をモチーフとしたのでしょう。
イソップ寓話のひとつに、獅子と鼠が登場する「ねずみの恩返し」というお話があるとか。
眠っている獅子を起こしてしまった鼠が獅子に捕らえられ、命乞いをしたところ、獅子は取るに足りないと放してやり、鼠は恩返しを約束してその場を去ったといいます。その後、獅子が罠にかかって困っていると、放してやった鼠が今こそ恩を返すとやってきて罠を噛み切り、獅子を助けた、というお話だそうです。
一説によると、このお話は百獣の王と呼ばれる程の強い者でも思わぬところで弱い者の助けを必要とする事があり、大小にかかわらず、相手を大切にしていればいずれ自分に返ってくるというような教訓を含んでいるのだとか。
今回ご紹介したこの作品は、突然起こされて怒る獅子に
小さな鼠が命乞いをする様子をモチーフとしたのではないかと思います。
ここで鼠を仕留めてしまうか、許して放つか、その時の判断で今後が全く違ってしまう、
まさに相手だけでなく自分も運命の分岐点に立っている瞬間を表現したのかもしれません。
今回はこちらの作品をご紹介します。
獅子と鼠(花房秀安作・手ひねり)
2匹の鼠に向かって大きく口を開けた獅子。
この作品は何をモチーフとしたのでしょう。
イソップ寓話のひとつに、獅子と鼠が登場する「ねずみの恩返し」というお話があるとか。
眠っている獅子を起こしてしまった鼠が獅子に捕らえられ、命乞いをしたところ、獅子は取るに足りないと放してやり、鼠は恩返しを約束してその場を去ったといいます。その後、獅子が罠にかかって困っていると、放してやった鼠が今こそ恩を返すとやってきて罠を噛み切り、獅子を助けた、というお話だそうです。
一説によると、このお話は百獣の王と呼ばれる程の強い者でも思わぬところで弱い者の助けを必要とする事があり、大小にかかわらず、相手を大切にしていればいずれ自分に返ってくるというような教訓を含んでいるのだとか。
今回ご紹介したこの作品は、突然起こされて怒る獅子に
小さな鼠が命乞いをする様子をモチーフとしたのではないかと思います。
ここで鼠を仕留めてしまうか、許して放つか、その時の判断で今後が全く違ってしまう、
まさに相手だけでなく自分も運命の分岐点に立っている瞬間を表現したのかもしれません。
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